2008年9月24日水曜日

意識=響き

























学会のデザイン発表会で広島へ行った折、原爆ドームに足を運んだ。

あのとき、この場所と、いま自分がいる時間と場所。
その間にはとても大きな隔たりがあるのに
間違いなく連続していて、その連続性と乖離性に頭がくらくらした。

空はどこまでも高く、芝は青い。
周囲の自然はこんなにも旺盛なのに、
命の鼓動をとめることを余儀なくされる人たちがいる。
その落差が切ない。

昨年の夏、年上の知人が亡くなった。
今年の夏、知人の近しい親戚が亡くなった。

命というのは、意識というのは、
音楽のような、時間とともにある響きのようなものだろうか。
楽器が壊れると、もう、音楽は鳴らない。
しかし、響きの記憶は残る。
楽譜も残る。


[ben]

2008年3月19日水曜日

書くこと・会話すること

私は文章を書く。建築が発生する前の背景を、事後的な効果を、視覚像の奥にある意味を、その場所に身体を置いてはじめて感受できる空間の質感を、伝えるために書く。文章を書くことは、それが読み出される際の音の触感や、文字の並びという視覚情報を用いて、意味という明示するべき価値を、場所と時間を越えて伝えようとする行為である。

一方、建築が発するものもまた、社会的意味、物質の触感、視覚像であり、それらから生起される空間である。その多面性において、建築は、音や文字の連なりから生起するイメージを味わう「詩」であり、「会話」に近い。場所と時間を共有した上で交わされる意味、音、視覚像(表情や身ぶり手ぶり)が会話であり、会話もまた、その場に身を置かないと感受できない行為だから。

(続きは「新建築住宅特集 2008年4月号にて)

2008年2月28日木曜日

壁の中に住む

僕は、壁の中に住んでいる。幅、2Mに満たない細い路地のような空間で寝起きしている。


壁の中に巣くってしまってしゃあしゃあとしているしたたかさ、図太さ、無神経さ、見境のなさ、そうせざるを得ないやりきれなさ、切実さ。

そういったことが
現代日本が世界に発信している価値なのではないか。

麻薬もない、宗教もない、確固たる権威もない、何もない極東の島国から。



参考:
『Less than Zero』
『LIFE AFTER GOD』
北野武の一連の映画作品

2008年1月25日金曜日

雪の詩学


























雪が降り積もると地面が覆われる。屋根も覆われる。それ以前には、多様な色と素材でにぎわっていた水平面が白一色で覆われる。色と素材が覆われて、要素が減る。

沢山降り積もると、地形のエッジはなだらかに覆われる。

それほど深くない場合、
地面に生えている枯れ草が
所々に顔を出す。

一部が覆われて、突出した部分だけが表出する。
ちらほらとあちこちに。

固体となった水は
かように、風景を変える。
異質な世界をつくりだす。

2007年11月19日月曜日

詩学と響き

最近、「詩学」と名前の付く書籍を意識して読んでいる。
「空間の詩学」
「構法の詩学」

それと同時に、音楽の仕組みである、
<作曲・楽譜・演奏・響き>のことを考えている。

作曲家の頭の中で、実際の空気をふるわせない「響き」があるのだから
建築空間においても、音が鳴っていなくても「響き」を感じ取れる空間ができるのではないか。

そういう、新しい空間言語をつくることができたらいい。