2008年10月10日金曜日

ノーベル賞と金融危機

ノーベル物理学賞、化学賞の受賞ニュースとときを同じくして、金融危機のニュースが新聞紙上を賑わしています。
「日本人の」という括弧付けに違和感を覚えるものの、人間界を含めた自然界全体の根本的成り立ちを理解しようとする動きにはとても共感を覚えます。
一方の金融危機は、実体の存在しない人間界独自のルールである金融・経済の混乱によって、物理的な存在を扱う=ものづくりをする建築の現場や工務店に多大な影響が現れていることに強い違和感を感じます。

建築では、素粒子の振る舞いを理解しようとするときに必要とされるような高度な知見は求められないものの、人間スケールの物性と経時的挙動への深い理解が欠かせません。また、金が金を生む奇妙なルールは必要ないものの、施工・流通・素材の対価_・人件費などの実体経済への理解も欠かせません。

小林秀雄が言ったという言葉、
『「美しい花」は存在するが、「花の美しさ」は存在しない』

ものづくりに関わる者として、物を地球上の一点に定着させる仕事に就く者として、この言葉は肝に銘じておきたい。
その上で、「花の美しさを感じ取ることはできる」という実感も忘れずにいたい。

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2008年9月27日土曜日

地球にぶら下がる

























日常のふとした瞬間、ちょっと見方を変えると不思議な世界が広がっている。

そういう発見をした日は、少しだけ得をした気がする。

2008年9月24日水曜日

意識=響き

























学会のデザイン発表会で広島へ行った折、原爆ドームに足を運んだ。

あのとき、この場所と、いま自分がいる時間と場所。
その間にはとても大きな隔たりがあるのに
間違いなく連続していて、その連続性と乖離性に頭がくらくらした。

空はどこまでも高く、芝は青い。
周囲の自然はこんなにも旺盛なのに、
命の鼓動をとめることを余儀なくされる人たちがいる。
その落差が切ない。

昨年の夏、年上の知人が亡くなった。
今年の夏、知人の近しい親戚が亡くなった。

命というのは、意識というのは、
音楽のような、時間とともにある響きのようなものだろうか。
楽器が壊れると、もう、音楽は鳴らない。
しかし、響きの記憶は残る。
楽譜も残る。


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2008年3月19日水曜日

書くこと・会話すること

私は文章を書く。建築が発生する前の背景を、事後的な効果を、視覚像の奥にある意味を、その場所に身体を置いてはじめて感受できる空間の質感を、伝えるために書く。文章を書くことは、それが読み出される際の音の触感や、文字の並びという視覚情報を用いて、意味という明示するべき価値を、場所と時間を越えて伝えようとする行為である。

一方、建築が発するものもまた、社会的意味、物質の触感、視覚像であり、それらから生起される空間である。その多面性において、建築は、音や文字の連なりから生起するイメージを味わう「詩」であり、「会話」に近い。場所と時間を共有した上で交わされる意味、音、視覚像(表情や身ぶり手ぶり)が会話であり、会話もまた、その場に身を置かないと感受できない行為だから。

(続きは「新建築住宅特集 2008年4月号にて)

2008年2月28日木曜日

壁の中に住む

僕は、壁の中に住んでいる。幅、2Mに満たない細い路地のような空間で寝起きしている。


壁の中に巣くってしまってしゃあしゃあとしているしたたかさ、図太さ、無神経さ、見境のなさ、そうせざるを得ないやりきれなさ、切実さ。

そういったことが
現代日本が世界に発信している価値なのではないか。

麻薬もない、宗教もない、確固たる権威もない、何もない極東の島国から。



参考:
『Less than Zero』
『LIFE AFTER GOD』
北野武の一連の映画作品

2008年1月25日金曜日

雪の詩学


























雪が降り積もると地面が覆われる。屋根も覆われる。それ以前には、多様な色と素材でにぎわっていた水平面が白一色で覆われる。色と素材が覆われて、要素が減る。

沢山降り積もると、地形のエッジはなだらかに覆われる。

それほど深くない場合、
地面に生えている枯れ草が
所々に顔を出す。

一部が覆われて、突出した部分だけが表出する。
ちらほらとあちこちに。

固体となった水は
かように、風景を変える。
異質な世界をつくりだす。