2007年9月25日火曜日

粗っぽくもずしんとくるもの

あるひとつの建築現場が終わる。

工務店の現場担当者、大工、電気屋、水道屋、土工事の職人、
その他諸々の、職能を持った人たち。
彼らはどこからともなく現れて
世界にひとつだけのものを
ある意図の元につくり、
自分の仕事が終わるとまた
どこへともなく去っていく。

サザンの「旅姿六人衆」そのままに
毎回違うクライアントのために
自分が発揮しうる能力を
要求に合わせて発揮して
偉ぶることも、自慢するでもなく
さらっとやってのけて
街から街へと
無言で去っていく。

ひとつの建築が一応のまとまりを見せる、つまり竣工すると
「あぁ、あそこはもっとこうできた」
「何であのときに踏ん張れなかったんだろう」
と、必ずと言っていいほど、
悔いや自省や後悔が、発生する。
どんなに完璧だと思っていても、必ずその瞬間が訪れる。
これはもう宿痾だとすら思う。
後悔のない現場があったら、
それで建築を打ち止めにしてもいいとすら思わなくもない。



また別の街で
いえづくりが始まっている。

そこで実現できるかわからないが、
「粗っぽい、それでいて
ずしんと来る。」

そういうものを、わたしはつくりたい。


感傷ではなく
そう思う。